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とにかく映画を撮りたい!という。そういう世代なんです。人生の核心部分に特撮とアニメが居座っていて、幼少時から好きだった特撮もので下地ができて、青年になった時点で、劇場版の「銀河鉄道999」とTVアニメの「未来少年コナン」の鑑賞体験が決定打となって、将来アニメーションや子供映画を作る人になる!と思い込んでたのですが、いざ、絵を描く段になって、挫折してしまい、こうして、現代美術作家になってしまって。それでもいつもチャンスをうかがっては、映像作品を作り続けてきたのですが、長編にまとまったのは今作が初めてで、才能やら運やらが必要なジャンルで自分にはそういうのが無いけど、諦めないでとにかくあらゆるチャンスに映像を造ろうとずーっとやり続けていたんです。
大学とかの志望動機もアニメ絵が描けなかったので、絵の勉強できるところというものだったし。大学入ったら、速攻アニメ研究会に入って、アニメ作ったり、当時はビデオ出たてだったんで上映会をやったり、宮崎駿さんを学園祭にお呼びしたりとアニメやサイファイ三昧の生活に浸っていました。しかし、その頃見た庵野秀明さんの所属したゼネラルプロダクツの「DAICONⅣ」とかをみて、挫折。大友克洋さんの「AKIRA」や、宮崎さんのナウシカを観て、これまた挫折。天才にのみ与えられたチャンスなんだと何度も何度も諦めたのですが、50歳を前にして、諦めきれずにまだ撮ってて、で、やっとこうして日の目を見そうだなぁ~と。
でも、前に仕事でご一緒した、アニメ監督の細田守さんがおっしゃてましたが、「映画の神様はいつ何時何をしでかすかわからない」とおっしゃってて、その言葉を上映が終わるまで忘れないようにしようと思ってます。今はとにかく、完成してほしいです。(2月13日の時点では全CGカット1000カットほどの中で、400カットほどが未完成。音 楽も今一度仕切り直し。効果音も手付かずの状態です)
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子どもたちに、この世のリアリティに直面する前のトレーニングを積んでもらいたい。この世のドグマと逃げずに対峙可能な人間になってほしいから、そういうリアルに突っ込める動機付けを与えられる作品にしたい、と思っています。
僕の体験においては、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「悪魔くん」「河童の三平」等、といった作品たちは、そういう訓戒に満ちた世界 観を 表現していて、そのメッ セージを幼少時に受け取りました。「戦争に負けて、なんと も暗い世の中に生まれてきたけど、まぁ、正直に僕ら子供にこの世の『ドグマ』を語ってくれる大人(製作者や原作者のこと)もいるんだから、そういう正直な人について行き、世界 を理解しよう」そう感じたんです。おもちゃ売るとか、夢と希望を提供するとか、じゃなくて、今のドロドロを共有する。今の日本、本当にどん底だし、政治も何もかも、大人、全くダメじゃないですか。このストーリーに出てくる大人、全員何もできない人々なんです。だから子供が自分で考え、動くしか無いんです。
それが日本の今のリアルって思ってます。そういう部分も寓話にもりこみ、「君たちが頑張らんと問題解決しないだよ!」という。もう、闇雲な元気というか。「暗闇の世界に闇雲に生きろ!」って、テーマはそういうことでしょうか。
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そうですね、実は「めめめのくらげ」は今から12、3年前に当初企画したときは、群馬県の奥地にブラジル人が出稼ぎでいっぱい働いている集落があるという話を聞いて、思いついたストーリーなんです。日本社会内の隠された移民という異文化の衝突と融和を描こうと思ったんです。そこには日本 生まれのブラジル人少女がいて、都会で事業に失敗した親子が田舎に来て、その子、男の子が少女と出会い、そこに妖怪が登場し、文化の衝突 に手を差し伸べる、という話でした。日本社会内に衝突が見えなかったんで、そういう部分に裂け目を探しだして、お話のリアリティを造ろうとしたんです。
でも、震災で戦後日本社会のドグマが全部表面化した。同じ日本人なのに超弩級の異文化の中に生きているというリアルが噴出した。全く違う 価値 観の 中でもがいてるという現実を観て、日本人同士を繋げるにも、トリックスターが必要なんだ、と設定にリアリティを感じれたんです。差別やヒエラル キー、宗教や理念理想の落差を持って、人々はそれぞれ生き、日本の中でもコンフリクトに見舞われている。それが震災で一気に一方向に向か いそうな気分ゆえ、ますますその境界線がハッキリしてきたという事を、子どもたちと共有し、子どもたち自身こそがそういう境界を乗り越えねばならないんだ、 というメッセージが本当に必要になっているんです。
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そうです。1つのテーマ、復興と平和が日本の心棒に出来たので、そのテーマとの絡みが容易になったといえます。10年間、膠着状態だったお話が動き出したのは、震災であらわになった日本社会から見る、この世の亀裂があらわになったからだと思います。
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ぼくの想定オーディエンスのひとつとして考えているのが、小学3年生くらいなんです。3年生くらいまでのこどもたちが、この作品を観て、多分数ヶ月ぐらいで忘れてしまうかもしれないですけど、半分バカにしながらも、「ふれんど」の存在に少しだけでもリアルを感じてもらって、それが何を意味したかを将来考えてみて 欲しいんです。ぼくらが 「ウルトラマン」観たときのように、ウルトラマン、いるとは思ってなかったし、信じていないんだけれども、ウルトラマン、ゲゲゲの鬼太郎、の発表された当時の社会問題、作品内に封入されてますよね。それが大事だった。そこを今、やりたいんです。
そして、それらの作品の持つ熱量に当てられて、、、つまり純粋な芸術鑑賞体験だったわけなんですよね。そういう人間のなんでこんなもの作んないといけないのか、とか観る方も、なんでこんなもん、観るの?とか、そういう人間の持つ、芸術鑑賞欲との出会いと、リアリティを感じて欲しいのです。
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とりつかれたのは、4歳から18歳の間で、今はその時の亡霊と今一度出会う決意をしたという感じなんです。現代美術って大人の文化ですから。一旦大人になって、もういっかい幼児化するのに戻ってきたという。映画の文法は本当に複雑で、全然わかってませんが、この歳で、改めて、新ジャンルの文法を現場で学べるのは本当にラッキーだと思います。 声優さんが入ったり効果音が入ったり、編集で意味が変わってきたりといった、まるで映画に命が吹き込まれたかのような瞬間は、本当に感動的で、制作現場にいる幸せを感じています。